子どもの発達段階と悲嘆の表現
子どもが大事な人を喪失した際に示す悲嘆の表現は、通常大人とは異なります。子どもは悲嘆感情を絶え間なく感じているわけではなく、むしろ、それは周期的、もしくは断続的な感情として表れます。
子どもは喪失感を束の間しか見せないかもしれませんが、実際は、子どもが成長していく過程でその子の中に存在し続け、発達によりその能力が成熟、変化するにつれ、形を変えて表れます。例えば、6歳の時に親を亡くした子どもの場合、親の死とその意味するところを発達段階(8~9歳の時期、前思春期、初期及び後期思春期、青年期など)に応じて繰り返し検証していきます。
幼い子どもは死の概念を理解していません。そばにいた人がある時いなくなってしまう。子どもはその人がいなくなってしまったことを様々な時点で感じ、その都度、大切なその人が「いないこと」を悲しみます。子どもたちはその人の具体的な特徴を懐かしがります。それは、その人の声であったり、表情や表現であったり、その人と一緒に楽しんだ活動であったりします。多くの場合、それらの懐かしいものを喪失したという現実に直面し、子どもは人が死ぬとはこういうことだと理解します。つまり、子どもはある人が死んでしまったと聞いたその瞬間は十分に反応できないかもしれませんが、大切な人がもう存在しない日常生活を送る中で死という現実を実感していくものなのです。そのため、子どもと一緒に行う悲嘆の作業の多くは、大切な人の死の後、長期間に渡って行われます。
死の説明
親や大切な人が亡くなった時、子どもの発達段階*(注1)にふさわしい言葉で説明することが大切です。例えばこのように言う事ができます。
「お父さんのがんについて話し合ったこと覚えてる?お医者さんたちはお父さんのがんをやっつけようと一生懸命がんばってくれたの。でもがんはお薬が効かないほど強くて、お父さんの身体を動けなくしてしまったの。誰かが死ぬっていうのは、その人の身体が動くのをやめてしまうことなのよ。その人はもう息をしないし、食べないし、痛みを感じることもないの。」
「遠くへ行ってしまった」とか「眠っている」といった表現を使うのではなく、「死」や「死ぬ」という言葉を使い、混乱を最小限にすることが重要です。
発達段階毎の特徴
乳幼児期
乳幼児は死を認識しません。しかしながら、自分の一番の保護者(親など)がいなくなったことや、代わりに世話をしてくれる人が抱える不安を強く感じ取ります。
この時点では乳幼児の面倒をみる人を2~3人以内に限定した方がいいでしょう。
2~3歳児
この年齢の子どもたちはしばしば死を寝ている事と誤解し、この誤解がより多くの不安を引き起こします。そのため、幼い子どもであっても「眠っている」とか「遠くへいった」という言葉の代わりに、「死んでしまった」や「死」という現実的な言葉を使うことが大切です。
たとえ、親が死んでしまったことを知らされても、この年齢の子どもは、お母さん、または、お父さんはどこにいるのかと繰り返し聞きます。この場合、その子どもの保護者が穏やかに安心させるような態度でその子の質問に答えることが重要です。「この間お話ししたこと覚えてる? お父さんは死んでしまったのよ。だから、もう帰ってこないの。」この時保護者は、最初の説明が十分でなかったから何回も同じ質問を繰り返すのだろう、と思うことがよくあります。。しかし、子どもが質問を繰り返すのは、同じ情報を何度も繰り返し聞くことで確認していくという彼らの発達段階における必要性から行われる行為なのです。(幼い子どもが同じ映画を何度も繰り返し見るのを思い出してみてください)。
3~6歳児
この年齢の子どももまだ死と睡眠を混同しがちです。彼らは死の最終性*(注2)というものをまだよく認知できません。人が死んだという事をオウム返しに言うことはできますが、彼らは心の中ではその人が戻ってくるものだと考えています。彼らは死を一時的、または、徐々に起こる出来事としてとらえており、死んでも再び元の生きている状態に戻れると思っています。
この年齢の子どもは自分の行為が死を招く原因になったと考えがちです。例えばお母さんに部屋を片付けるように言われたのにそうせず、それでお母さんを怒らせたために彼女の死につながった、などです。
また、家族の信仰に天国という概念が含まれている場合、この年齢の子どもが自分も「死んでママに会える天国に行きたい」と言うことはよくあることです。その子どもの世話をする大人は、この子は落胆のあまり死にたがっているのではないかと非常に心配します。しかし、この年齢の子どもは抽象的思考が未発達で、死の不可逆性を理解できません。物事を具体的な事象として捉えるため、天国はニューヨークと同じような単なる地名にすぎず、亡くなった人が天国との間を行き来できると想像します。子どもを安心させる言い方は「○○ちゃんがママと一緒に居たいと思うのはわかるよ。でも今はここで、パパと一緒にいようね」などです。
6~10歳児
この年齢の子どもは死の詳細について旺盛な好奇心を持ちます。死んだ人の身体に何が起こるの?それはどこにいくの?どうやって人が死んだってわかるの?などです。これらは子ども達が実際には聞くのをためらう質問かもしれないので、彼らが質問できる機会をつくることが重要です。
さらに、子どもたちはすでに骸骨や幽霊やおばけに心を奪われているかもしれません。彼らは死の最終性を理解していますが、死の普遍性*(注3)という概念を理解するのはまだ困難が伴います。子どもたちに、全ての生物はいずれ死ぬこと、通常は年をとった人や病気の人が多いけれどそういった人たちばかりでもない、いうことを気づかせるようにすることが助けになります。
この年齢の子どもたちには、安心して親を思い出す事のできる習慣的行為が助けとなります。それは特別な思い出箱でもいいし、裏庭の植物でもいいのですが、子どもが親を身近に感じたいと思った時にそこに行って時間を過ごせる物や場所が大切な存在になります。
10歳以上
10歳か11歳以上の子どもは死の最終性や普遍性を認知できるようになりますが、その理解はまだしっかりしたものではありません。場合によっては、12歳でもこれらの概念の理解が難しい子がいます。
10歳以下の子どもは大人が答えづらい質問をしがちですが、11,12歳くらいの前思春期の子どもになると、周囲の人の気持ちを察し、死に関わる質問はすべきでないと考えるようになります。その質問が残された家族に痛みをもたらすことを理解し、保護者や家族のメンバーを護ろうとします。
この子どもたちには出来る限り心を開き、亡くなった人やその人がいなくなってしまったということに対してどう感じるか話せる機会を作ってあげることが大切です。
思春期の子ども
思春期の子どもの発達課題は彼らの両親からの分離です。親の死はこの課題を妨げるものではありませんが、この課題の達成を非常に複雑にします。思春期の子どもは残された方の親や保護者に自分の気持ちを打ち明けたがりません。それは難しいことや、重要なことを親と話したがらないという思春期特有の特徴から起こることです。しかし、思春期の子どもたちと、感情や恐れ、親の死に対する避けがたい怒りについて率直に話し合うことが大切です。彼らは喪失の痛みを飲酒やドラッグ、セックス等*(注4)で紛らわせたい気持ちになる事もありますが、信頼できる大人(それは誰なのかを考える手助けも必要です)と安心できる会話をすることが自分が癒され、これからの人生を歩んでいくのに最善の方法であることを理解する必要があります。
感情
この先感じるかもしれない気持ちについて話し合ってみましょう。きっと悲しくなったり、怖くなったりするだろう、というのは多くの子どもが予想しますが、怒りを感じるだろうと予想する子どもはほとんどいません。親の死に対して怒りを感じるのは自然な反応なので、その避けられない感情に対処できるよう準備しておくことが大切です。
子どもはある時点で親が自分を置き去りにしていってしまったことに怒りを感じる事が多く、亡くなった親に怒っている自分に気付くのはとても気まずいです。そんな気持ちを抱くなんてなんてひどい人間だと思い、他の人の反応が怖くてこの気持ちを正直に打ち明けることができません。もし、親に対する怒りは自然で許されることなのだとあらかじめ知っていれば、子どもたちは信頼できる大人に自分の気持ちを話しやすくなるでしょう。
大人たちは、すべての年齢の子どもが大人とは異なる悲嘆の表現をするという認識を持つことが大切です。
幼い子どもが親が死んだことを聞いて10分から20分程度悲しんだ後、ゲームで遊んだり、外に遊びに行きたいと言ったりするのはよくあることです。
10代はすぐさま、携帯電話や友達の家へと逃げ出してしまうかもしれません。
周期的に起こる子ども達の悲嘆表現は、少しの間悲しんだ後中休みして、また再び悲しむというという様に起こります(葬儀場での大人の様子を考えてみてください。立ち話をして、笑ったりしています。これは大人も同様に悲嘆を中休みしている行為です。)子どもたちも独自のペースと表現で悲しむ事が必要です。
私たちは悲嘆を“乗り越え”たりしない、ということを覚えておいてください。その悲しみと共にどうやって生きていくか、悲しみを、その人がいないということを、どうやって自分の人生に取り込んでいくかを学んでいくのです。以前のような日常生活は決して戻ってきませんが、新たな日常生活が生まれてくるのです。もし私たちがこれを心に留めておくならば、親が亡くなった時に子どもが経験する、大人とは違った時間の感覚や感情を受け止めやすくなるでしょう。
注釈
注1 発達段階:子どもがある年齢グル-プ毎に特有の考え方や物事の理解方法を持つ事を指す。例えば、大人のような抽象的思考が発達途上であるため、ある年齢グループの子どもはより具体的な説明を必要とする。この文中では発達段階を年齢毎にわけ、その年齢グル-プにそった死の理解を説明している。但し、子どもによって成長が早かったり遅かったり等の違いがあるため、子どもの個別の成長を考慮に入れた説明を行う必要がある。
注2 死の最終性:死は生の最終段階で、亡くなった人は戻ってこないということ。
注3 死の普遍性:死は誰にでも訪れるものであり、自分自身にもいずれは訪れること。
注4 思春期の子どものこの種の反応は日米間で異なった行動がみられることが予測される。
このコンテンツは、テキサス大学附属M.D.アンダ-ソンがんセンタ-の小児がん病院において、マ-サ・アッシェンブレンナー氏がプログラムマネ-ジャ-として主催していたKNITプログラム(※)の内容を許可を得て日本語に訳したものです。
※ KNIT:Kids Need Information Too(子どもだって知りたい)
このコンテンツは、がんになった親、家族、周りの人などに利用していただいたり、医療機関などで配布することもできるようPDFファイルにしてあります。ご自由にご活用ください。
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